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DATE: CATEGORY:雑感系
 またはてブで見つけた記事についてです。

ぼくの知り合いのとてもモテる人について(ハックルベリーに会いに行く)

 ここで言う「物語性」を求めてしまうことについて自分語り。

 何にしろ十把一絡げ的に考えることはできないけども、まぁ仮の話で、まずそういう物語を求めるのって女性だけなんだろうか?と。
 子供の頃よりは薄れた気がするものの、少なくとも自分にもそういう願望みたいなものがソレナリに備わっていると思います。

 で、それは場合によっては「フィクションに触れすぎ」とも言えるんだろうけど、でもそれだけじゃなく、もっと根幹的な部分で理想としてたたずんでいる気がするんですよ。
 むしろ恋愛云々どころか、人生観として、人間は多かれ少なかれそういう「自分が主人公」な雰囲気を飼って生きているんじゃないかなぁと。

 その一方で、では自分の場合に、そういう物語性を保証してくれる相手がいたら「わーい理想だーっ」と手放しで交際三昧となるかといえば、そんな事は十中八九ありえない。
 それはやはり、いくら物語性の強い交際だとしても、その中で自分が現実と理想の間でどうしても発生してしまうような類の非常に微細なギャップさえも自然にどんどん見つけてしまって、とても「理想が叶う」という状態にはなり得ない(理想が叶ったとは思えない)んじゃないかと思っちゃうわけで。

 自分が物語性というものを認識してしまった時点で、ソレと現実の恋愛観は化学反応を起こして「水と油」の関係に切り離される、という風にイメージします。
 そう考えると、先の記事で言われる”物語性を現実に重ねて過ごせる(恋愛を楽しめる)女性たち”は、言ってしまえば現実と空想を区別できない、というか、現実と空想を区別したくない人たちで、しかもその意思は無意識下で作動している……という風に見える。

 逆に、認識してしまうことで自分のように「物語性」を現実に反映できないと考える人間(というかとりあえず自分の場合)は、物語性を消費したい!という欲求を、現実ではなくラノベやらアニメやらのフィクションに向ける方が良いのかもしれないなと。

 つまり、認識してしまった(とりあえずここでは恋愛面での)物語性は、現実よりも二次元の物語等へ向ける方が、よりリアルに・あるいは面白く・あるいは効果的に消費できるのかもなー。とは感じます。

 もしかしたらそれは、現実の細部に散らかるノイズをある程度除去した形だから、と言う事なのかもしれないですが……。
 新海誠の作品の背景などは、写実的なんだけど、元のままを絵にするんじゃなくて、ちょっと現実臭いものを取り除く、つまり記憶の中に残っている状態の”印象”に近い風景にすることで物語の背景として抜群の効果を発揮する、みたいな話を聞いたことがありますが、それに似たことかなと。

 ということは、物語性を現実に重ねる女性たちは、もしかするとそういうノイズを含めて楽しめるようにできてるという可能性もあるか……。むしろノイズすらも物語性に取り込んじゃったりして。

タグ : 自分語り

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