■内容紹介 誰からも傷つけられたくないし、傷つけたくもない。そういう繊細な「優しさ」が、いまの若い世代の生きづらさを生んでいる。周囲から浮いてしまわないよう神経を張りつめ、その場の空気を読む。誰にも振り向いてもらえないかもしれないとおびえながら、ケータイ・メールでお互いのつながりを確かめ合う。いじめやひきこもり、リストカットといった現象を取り上げ、その背景には何があるのか、気鋭の社会学者が鋭く迫る。
■感想 ページ数はそこそこながら内容のボリュームはそれを遙かに超える量感で、一人の若者として自分にもやはり通ずるところがあるのだろうなと思いながら読んだ。
(※以下続きます) ひきこもり・純愛ブーム・いじめ・ケータイ小説、その他かなり多岐にわたる現象においての認識や向き合い方のズレを、説得力を持って「これが真実なのかもな」と思わせるように説明してくれる本。
と書くと「なんか内容バラついてね?」と言われそうですがw、それらの事が実はある深い領域・精神性で繋がっているという事を解説してくれる、そういう本なのです。
自分の感覚では、語っていることがとてもリアルに伝わったので、何となく過ごしていれば何となく認識している、社会に広がっている”今”の人間関係のあり方(自分が若者側なのでなおさら)や捉え方をハッキリと「自分にも関係あること・自分がそのただ中にいるということ」と意識した上で、著者による新しい見方や知見で認識することができたと思ってます。
漠然と若者の精神性について語っていく事はなく、それぞれケースや現象などを用いた解説がされていくつくりで。
たとえばケータイ小説の章は「フィクションとの向き合い方」に関する論考で、東・大塚を少し読んできた自分には取っ付きやすく、そしてかなり適切で鋭い考察のような印象を受けます。
一方リストカットの章あたりは親指の力が抜けるような生々しい痛みが漂うし、現代のいじめ観やネット・ケータイ観などはむしろ感動を覚えるほど理にかなった仕組みの解説でした。
こんな感じですが、この本は若者論という印象が漂っているような気がするものの、それよりは「現代のコミュニケーションにおける精神性論」と考えた方が正確かと思います。つまり、若者論だと思って避けている人は安心して読むべき。
特に、若者ではないけども若者とよく接する、という立場の人などには有益なんじゃないでしょうか。
<「優しい関係」は、強迫神経症のように過同調を互いに煽りあった結果として成立している>(優しい関係について自分が少し印象的だった説明ですが、どうせならもっと分かりやすい引用があったかもwサーセンw) とりあえずこの優しい関係というやつが若者を中心にして蔓延しているのは確かで、プロフやバトン、SNSなどの人気コミュニケーションサービスにおける構造・振る舞い・姿勢が基本的に”受け身”である気がするのは、優しい関係の下で主体性が失われたことの裏返しなのだろうと強く感じます。
あとちょっと気になったんですが、もし優しい関係に強く侵された人間にTwitterを使わせてみたら、もしかして「お猿さんのオナニー」状態になるんだろうかw
ケータイのような触覚性がないからダメかな……でもケータイでも使えるから大丈夫(?)かな。
あと、ここで明かしておけば、自分も長期の不登校・ニート等の経験者であるわけなのですが。
その目でこの本を読んだとき、著者がこの本で扱う諸問題について、きちんと考え抜いた跡みたいなものが伝わってくる気がするわけです。
本書について、理論的考察ばかりで説得力が無いという指摘もあるけど、この本で扱っている事の多くは若者たちのメンタリティに基づくもので、つまり内面の機微です。
むしろ主観的な意見・考え方・感じ方こそが揃わないと、たやすく論じられるものではないでしょう。
その意味で、この本にて語られることの内いくつかの事柄についてではあるものの、考え迷い思索した経験を持つ一人として言えば、この本にある考察は十分にリアルさを持っていると強調しておきたいと思います。
この本を「説得力ねーよ」と感じた読者には、その辺も踏まえて”三角測量”してみて頂きたい所です(うまくねぇww
とりあえず、人間関係に漠然と不安や疑問を感じる若者(若者ではない人もね)には、すぐに読んでみて欲しい本です。
疑問に対する「答え」というのは書いてないけれど、その探索に必要な作業として、輪郭のぼやけた「やりづらさ」の実体を照らしだす程度には、絶対に役立ちますから。
タグ : 本 新書 土井隆義 友だち地獄
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